リサイクル通信

2017年8月168号】

当社の歴史 / 会葬御礼

当社の歴史

当社のパンフレットにも掲載されていますが、久しぶりに当社の歴史を振り返ってみたいと思います。

創業は、昭和12年。前会長の長沼伊代蔵が個人商店として古物商を西新井に於いてスタートしました。丁度80年前になります。会長の長沼正夫が昭和11年の生まれでしたので、ほぼ会社と同じ時を歩んで来たことになります。所沢には、元々飛行場があり、1911年には、アンリーファルマンによる試験飛行なども行われ、航空発祥の地としても知られています。終戦後、米軍により接収され、米軍基地となりました。その際には、基地の払い下げのスクラップなどを扱う様になりました。昭和46年に部分返還されるまで取引があった様です。私も子供ながらに、米軍の担当者や家族に会った事や、会長がマーキュリーなどに乗っていた記憶があります。    

この頃になると、西新井の工場も手狭になり、西所沢へと移転する事になります。当時の当社近辺には、ネジの製造工場や、木材問屋などがあり、住工混在のエリアでした。ここで、天井クレーンの設置や、ギロチンの設置など生産性の向上を図り、近代化を進めて来ました。フォークリフトがあれば良い部類といった時代の中、思い切った設備投資だったと思います。当時のクレーンはレール天場で8m程度の比較的低い作りでしたが、直径1.5mの電磁石を備えていましたので、生産性は大きく向上したと思います。その後、シュレッダーを自社開発しております。現在では、技術的に確立していますが、当時では、最新技術だったと思います。改造に改造を重ね、電炉メーカーの評価も得て、本格的な生産に入っております。

しかし、この西所沢の地も近隣に於いて、工場からマンションへと風景が移り変わっており、再度の移転を模索するに至りました。平成4年には、資本金も積み増し、工場移転に向け、準備を開始しました。しかし、当時の所沢には、工業専用地域は、松郷のミニ工業団地しかなく、空地はありませんでした。数年に渡り、土地を探しましたが、工場を建てられる様な土地は無く、最終的には、新たな工場を求める14社で協同組合を設立し、工業団地建設へと走り始めました。弊社の会長が理事長を設立当初から務めておりました。当時は、市にも商工会議所にも工業団地を建設した経験者はおらず、会長も相当苦労した様です。

その後計画が具体的になると、協同組合から脱会する企業もあり、さらなる苦労を背負う事になるのですが、それでも平成13年には、工業団地を竣工させ、当社も三ヶ島の地へ移転して参りました。この工場は、全くの更地からの設計になりましたので、基本的な建物のレイアウト、機械設備の導入などより理想に近い形で実現できたと思います。同時に、産業廃棄物の中間処理業やISO14001の認証も問題なく対応出来るハードウェアとして設計に当たりました。お陰様で、当業界に於いてもかなり早い時期での取得となりました。現在では、第2工場での新規事業も軌道に乗り、更なる拡大を目指しております。

会葬御礼

平成29年8月3日 午前4時39分

弊社代表取締役会長 長沼正夫が永眠致しました。

前日の午後3時まで会社で仕事をし、帰宅後、夕方からのマッサージに備え、シャワーを済ませ、その後、何一つ苦しむ事も無く、眠るように旅立ちました。

会長の人生は、二度の工場建設を行い、技術開発を行い、最後の最後まで成長していく会社と共に歩んだ人生でした。とても幸せな人生だったのではないかと思います。

社葬に際しましては、御多用中にも関わらず、

御会葬頂きました皆様に心より感謝申し上げます。

一覧に戻る

お問い合わせ

お困りごとや気になることがありましたら、
お気軽にご連絡くださいませ。
無理な売り込みをすることはありませんので、安心してお問い合わせください。

電話のアイコン04-2947-8870

8:30〜17:30
(日祝、第2・4土曜、夏期休暇、年末年始除く)

トップに戻る