昨日、今年初めての大型の台風が、九州から関東に かけて日本列島の南側を沿うように抜けていきまし た。そして、日本列島に多くの被害をもたらしました。 この毎年繰り返される台風の被害は、災害にあわれた 方からみれば、悲しく、居たたまれない出来事ですが、 この台風の運んでくる膨大な水は、本格的な夏に向か って生命活動を活発化する動植物(人間も然り)にと っては、何にも増して重要な、そして貴重な自然の恵 みといえます。
京都議定書 ― その後
昨年の今月号で、「京都議定書」の実効性の問題に ついて触れました。すなわち、批准に参加しない米国 と、具体的な削減の数値目標を負わされない途上国 (特に中国)の存在を指摘し、彼らを引っ張り出すに は、何かしらの強力な利得インセンティブ(さもなけ れば国民的理解を得られない)が必要なこと、そして、 それにはやはり、排出権取引といった市場メカニズム 等を整備して、その魅力度を高めることが必要と書き ました。
それから1 年弱が経過。ドイツ北東部のハイリゲン ダムで開かれた主要国首脳会議(G8サミット)・・・、 「米国、中国、インドなど温暖化ガスの主要な排出国 が応分の責任を果たし、2050 年までに世界の排出量 を半減させる」ことが首脳声明に盛り込まれました。 ただ、米国にしても、国別の総量規制には強い反対 圧力があり、また、中国などは先進国との同じ排出削 減義務には強く反発しています。
さらに、今回のサミ ットでの半減とした数値の基準年や中国・インドをど のように巻き込むかの具体性にも欠いているので、評 価するには早すぎるかも知れません。 しかし、地球温暖化防止の新たな枠組みづくりを米 国も参加して進めることを決めたことの意義は大き いです。
なにしろ、人類社会が排出する温暖化ガスの 全体の約半分を米国と中国が占めていると言われて いるのですから。 そして、もうひとつ注目すべき変化は、世界が地球 温暖化問題を経済のマイナス面だけではなく、あらた な経済発展の機会という捉え方に変わってきている ということです。
環境技術の高度化や排出権取引のよ うな炭素市場の整備により、個々の経済主体が地球温 暖化問題に挑戦し、解を求めるプロセスで新たに価値 が創造されるという考え方に変わりつつあることで す。この基本的認識の変化は、市場メカニズムの力を 借りることにより、地球温暖化問題を、世界経済レベ ルで解決していく鍵になるかもしれません。具体性 のある行動において日本も乗り遅れてはいけません。 来年7月は、北海道胴爺湖サミットなのですから。
土俗的信仰にみる自然観
私の田舎では、幼い頃至るところに神様がいまし た。井戸の神様、竈(カマド)の神様、トイレの神様、山の 神様、村の鎮守の森の五穀豊穣を司る神様。大晦日の 晩などには、灯明とお供え物をする為に、暗い夜道を 順番に廻った経験があります。
これは、人間の営みを 助けてくれる、あるいは恵みを与えてくれる全てのモ ノに神様が宿っているという土俗的な信仰です。それ は、恵みに対する感謝と、それが絶たれた場合の畏れ の上に成り立っている信仰です。日本の歴史の中で庶 民信仰としてあまねく根付いていました。
そしてこの 土俗的精神性が人と自然との関係を規定してきたと いえます。すなわち自然(森羅万象)のなかで生かされ ているという、人間観においては非常に謙虚な思想で す。そこには、西洋的思想にみられる自然を征服の対 象(客体)とする人間のエゴはみられません。しかし 残念ながら、日本の歴史の一時期、この精神性が人間 生命の尊厳を軽んじ、多くの日本国民を死へ追いやっ た土壌になったことも確かです。
しかし、人類の営みから生じるダストが、地球の有 する許容量の限界を超えるに至った今日、危機回避に 向けての、制度的仕組と同時に、新しい価値観に基づ いた生き方も必要です。
そのような新たな生き方の価 値観を構築する時、日本の土俗的信仰から生まれた精 神性も大いに参考になると思います。 ところで、日本の土俗的信仰の風景は、不思議とも う一つ風景を浮び上がらせます。子供のころ見た釈迦 の涅槃図です。
十字架にかけられたキリストの死とは だいぶ違うと子供心に思いました。横たわった釈迦の 死に際し、廻りには弟子や信者に混じって、雉や猿、 牛や馬、蛇やその他の爬虫類らしきものまで、色々な 生き物が釈迦の死を悲しみ集まって来ています
。そこ には人間と生き物(自然)の断絶はありません。人間 と自然との精神的コミュニケーションさえ感じられます。 東洋における自然観には、何やら共通した原始的精 神性があるように感じられます。人類が自然との関り を再構築するとき、貴重な示唆を与えてくれます