リサイクル通信

2006年3月 【32号】

息子から父親への環境教育 / 石森章太郎の「蒼い獣」のこと

この冬は、例年になく寒く厳しい冬でした。 日本海側では、豪雪による被害が酷く、村を捨てるかどうかの瀬戸際に立たされた地域もあったそうです。今年ほど春を待ちわびた年は、ここ最近ではなかったように思います。 ある小学生の理科のテストで、「氷(雪?)が溶けたらたら何になる?」という問題の回答に「春になる」と答えた子供がいたとか。過酷な冬の中で育った子供の偽らざる回答(気持ち)だったのだろうと、この冬、テレビに映し出された豪雪地域の営みをみて思いました。

さて、今回のテーマは環境教育?

当社では、地域に開かれたリサイクル工場をモットーに、毎年地域の小学生100名程度の工場見学を受入れております。そして、見学後は、アルミ缶等のリサイクルに関するビデオを視聴してもらい、資源リサイクルの重要性について理解してもらう等、環境教育のお手伝いをさせて戴いています。 そこで・・・というわけではありませんが、 今回は環境教育的な話題を・・・。

息子から父親への環境教育

最近、小学生の息子がよく環境に関する話題をもちかけてきます。学校の教科の中でこの手のテーマが取り上げられていることもあるのでしょう。

この間、その息子と一緒に風呂に入った時のこと。「おとうさん。ゴミはどうしてゴミになるのか知っている?」と、なにやら禅問答臭い質問を投げかけてきました。私も仕事柄いい加減な答えはできないので、「ム~。」と唸っていると、息子曰く、「ゴミは人間がつくっているんだよ」と。私が「当たり前だろう」と言うと、息子曰く、「そうじゃなくて、人間の気持ちがつくっているんだよ」という。

さらに息子曰く、「道端に短い鉛筆が落ちていて、それを拾って使うひとがいれば、それは鉛筆で、ゴミではなくなる。でもそれを拾う人がいなければ、鉛筆は鉛筆の形をしたゴミになってしまうんだよ」と。<小生意気な・・>と思いながらも、そこは父親として威厳を保たねばならないので、「なるほど。それを難しい言葉でいうと使用価値と言って、形があっても使用価値がなくなるとゴミになるんだよ」と、わかったようなことを言ってその場をやり過ごしました。

しかし、その後、はたと、自分の言葉に大いなる誤りがあるのに気がつきました。捨ててある鉛筆は、正確には使用価値が消滅しているとはいえません。そもそも短いながらも鉛筆の形をしていて使おうと思えば、使用できるのですから使用価値がないという私の言葉は正しくありません。息子の言った哲学的?言葉は、使用価値があっても、人の気持ちが、使う方へと、あるいは愛着の方へと向わなければゴミになるということを言っているのでしょう。

そして、知ってか知らずか、息子の言葉にはゴミに対する、課題克服の方向が示されているのです。つまり人の心(気持ち)が変われば(ここに環境教育の必要性の余地があります)、あるいは必要な人にとっては(ここにリユース・リサイクルの余地があります)、それはゴミではなくなるというメッセージなのです。これに対して、私の「使用価値のないゴミ」との定義は、もう焼却とか、埋立とか、と言う貧相な発想にしか辿り着かいことに気付かされました。

石森章太郎の「蒼い獣」のこと

環境教育的?な話題もうひとつ。私に環境意識的なものを芽生えさせたのは、30年以上も前、高校生の頃に読んだ石森章太郎のコミック漫画「蒼い獣」でした。

あらすじの流れは忘れてしまいましたが、いつのころよりか、世界の至る所に得体の知れない獣(形は狼のイメージ)が現れ人間を襲うようになり、その痕跡を、生物学者の大学教授とその息子が追って行くというストーリーだったと思います。

やがて、その獣なるものの出現時の共通性から、その獣は、単なる生物学的な獣ではなく、生命体としての地球が人類に差し向けた警告の象徴であることが暗示されます。 地球は悠久の時の流れの中で壮大な植物連鎖のメカニズムを築き上げ自己完結的な有機的体系を創り上げてきました。

人間自身もその体系の中で生かされているにも係わらず、富の追求の名のもと、地球の至る所で、この生命の連鎖を加速度的に破壊してきました。この「蒼い獣」は、蒼い地球の防衛本能が生み出した地球の化身ということだったのでしょう。 漫画ながら、この本はその頃の私にちょっとした感動を与えた環境教育的な本だったと言えます。

一覧に戻る

お問い合わせ

お困りごとや気になることがありましたら、
お気軽にご連絡くださいませ。
無理な売り込みをすることはありませんので、安心してお問い合わせください。

電話のアイコン04-2947-8870

8:30〜17:30
(日祝、第2・4土曜、夏期休暇、年末年始除く)

トップに戻る