アルミ高騰
アルミが高騰しています。昨年の4月LMEの価格は2400ドル弱、現在の価格は 3455ドルと1年間で 1000ドルも上昇しています。原因の一つが、需給バランスが大幅に供給不足にある事です。EV、太陽光パネル、蓄電池など需要が増えており、2034年までに年平均6.2%の需要拡大との予測もあります。
一方で、供給側ですが、ロシア産は、ウクライナ開戦以来、西側諸国では購入を制限しており、UAEなどの中東産も2月の紛争以来生産量が大幅に落ちています。中国でも生産に上限が設けられており、増産は見込めない状況です。
特に、ボーキサイトから精錬を経て生産される新塊でしか生産できない品種もあり、リサイクルでカバー出来ないものも多くあります。身近な所ではアルミサッシが挙げられます。6063という品種になりますが、展伸材と呼ばれ、高い純度が要求されています。
例えば亜鉛などは、0.01%とJISの10%以下がメーカーの購入基準になっています。当社でもこれに対応する商品を独自技術で生産し、2001年からサッシメーカーへ納入しています。
それでは、一般的なリサイクルのアルミは何に使われるのかと言えば、自動車のエンジン部品、電動工具などになります。ADC12 を代表とするダイキャスト向けになります。このようにリサイクルも進んではいますが、新塊のマーケット規模の方が遥かに大きく、需給の緩和には繋がりません。
国富論
アダムスミスが国富論を発行してから250年になります。スミスは冒頭で、分業について述べています。一人の人間が、全ての工程を行うよりも、分業によると生産性が大幅に向上するという事を、ピン製造を例に出して述べています。
しかし、分業を行えるという事は、それだけの生産規模が無くては分業できません。ざっくり言えば、生産規模、つまり総資産の大きい方が分業により高い生産性を実現できるという事になります。その為に、他者を押しのけてでも成長を目指す企業も存在しています。社員を使い捨ての道具の様に考えている経営者もいます。お金が全て、利益追求が営利企業として正しいと考える経営者もいます。
さて、そもそも何故企業はあるのでしょうか?社会とは、何なのでしょうか?人は、人が幸せになる為に社会を形成しています。そして企業はその社会の中の機能の一つです。つまり人を幸福に出来ない企業は、存在意義が無いという事です。
スミスは国富論の前に道徳感情論を出版しています。人は自己の利益だけでなく、他者への共感や社会的承認を求めて行動すると述べています。道徳的主体としての人間像を想定しています。その上で、国富論に於けるレッセフェール(自由放任)、市場主義は、理解すべきだと思います。
ドラッカーは著書の中で、利益は、企業や企業活動にとって、目的ではなく条件であると述べています。そして、利潤動機なるものは存在するかさえ疑わしいと続けています。ここにスミスに通じるものを感じます。
企業が提供する財やサービスを顧客が求めているのではなく、それによって得られる効用(幸福や満足)を顧客は求めています。そして、それに答えるために、企業は「特有の使命」を果たさなくてはなりません。
そして、「仕事を通じて働く人たちを生かす」事が必要です。企業とは、人と物とが一体となり、社会の問題の解決に貢献し、人々を幸福にするプラットフォームなのではないでしょうか。